今年の冬は、脱化石燃料、ecoな生活、暖炉の前で、ecoに思い・・
「美的感動」とは・・・の続き
「なぜ、我々は感動するのだろうか?」と考えたことはあるだろうか?
感動という脳機能はどのような意味をもつものだろうか?
答えは、物忘れがひどいあなたの頭の中に(冗談)。
我々は1週間前の夕飯のメニューは忘れても、強い感動を伴った過去の出来事は絶対忘れない。
どうやら、「感動」とは記憶の事象に索引をつけるための機能らしい、
そリゃ生きていくために都合がいいことや悪いことは忘れない方が良いに決まっている。
感動商法などという商売のやり方があるが、早い話、お客を感動させてお客の記憶にお店を刷り込もうとする商法、接客態度でお客の感情をくすぐるなどの手も、脳機能を利用した理にかなったやり方だ。
話はそれたが、感動するために、どうしても必要になってくるのが「感動するための我(意識)」。
哲学の世界では、意識(Consciousness)というのは大きな命題らしいけれど、生物の進化史を通して考えると、生きていくのに最低限必要な脳機能(潜在意識)の上に、より都合よく生きていくための手段として作られた、「出来事を記憶するために感動する機能が我(意識)」ということだと思う。
例えば昆虫なんかは反射のみで生きている生物で、絶対意識を持っているとは思えない。
進化史のどの段階で「我」(意識)が生じたかわからないが、結局あとから付け加えられた機能には間違いなく、我々は「我思うにゆえに・・・」なんて「思っている我が」私の存在中心のように感じているが、その「我」は、後から付け加えられた機能の一部に過ぎなく、「我」は私のすべてをコントロールしている訳では勿論ない。
あなたが、あなたの心臓の動きを意識でコントロールできようか?
なぜ「我」が私の存在中心のように感じるのかと言われれば、そう錯覚したほうが都合がいいからに違いない。
そもそも、指先で感じる感覚もなんかも、例えば壁をさわってザラザラとした感覚も、脳機能の私が直接触れている訳ではなく、指先のセンサー細胞から送られた電気信号が、脳のなかで再構築され、脳の中に作られたバーチャルナ世界を「我」が「感じている」と錯覚しているにすぎない。
この「我」が持つ、バーチャル世界構築機能は、人類においてさらに「想像」「創造」といった機能にまで進化し、「我」を生み落とした「環境」に依存しない世界観を持つに至っているといえる。
つまり「意識は」生まれ育った「環境」から離れていく志向性があるといえ、いま起きている環境問題の根底には、「環境こそ現実世界」と「壁」を隔てている「我」との位置関係にあるのではないかと思ったりする。
梵我一如ではないが、我を生み出した環境と我(意識)とを強く結びつける新しい考えが必要な時代に来ているのかもしれない。
暖炉のまえにて・・・考えたこと。
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